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東京高等裁判所 昭和27年(う)3936号 判決 1953年4月13日

控訴人 原審弁護人 川島政雄

被告人 大谷徳久こと孫久哀 弁護人 川島政雄

検察官 小出文彦

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人川島政雄の控訴趣意は別紙記載のとおりである。

出入国管理令第二条第二号によれば、同令にいう外国人とは日本の国籍を有しない者で同号イからニまでに掲げる者をいうのであるから、同令第三条違反の罪により有罪の言渡をするには、被告人が外国の国籍を有することの証拠を示す必要は必ずしもなく、日本の国籍を有しないことの証明がありさえすれば足りるのである。ところで、本件において原判決の挙示した証拠のうち所論の横浜地方検察庁次席検事より国警各都道府県隊長宛の「指名手配の有無調査方依頼の件」と題する書面、小笠原事務官作成の電話聴取書、福井県国警本部よりの回答電報、静岡、石川、島根各県の鑑識課長の回答書、横浜地方検察庁丸野雇、黒川事務官、村沢事務官、二階堂事務官、和田事務官各作成の電話聴取書、高知県国家地方警察隊長よりの回答書及び国家地方警察本部よりの指紋照会に対する回答によつては被告人に対する指名手配がなされていないこと及び被告人の指紋が指紋台帳にのせられていないことが認められるだけで、被告人が日本人でないことの証拠とするに足りないことは所論のとおりである。しかしながら、原判決はこのほかに被告人の司法警察員、検察事務官及び検事に対する供述調書をも証拠として挙示しているのであつて、このうち検察事務官に対する供述調書には、「私は現在国籍はありません、本年六月中旬まで中華人民共和国の国籍を有しておりましたが政治犯にとわれ国籍を剥奪されました」との供述の記載があり、さらに検事に対する供述調書には「私は無国籍であります………母は重慶政府、南京政府両国の国籍及香港の市民権、ポルトガルの国籍を持つており、日本国籍はないとのことでした」との供述の記載があるのでこれらの供述によつて被告人が日本国籍を有しないことを認定するに妨げないというべきであり、またこの点は単に身分を必要とする犯罪における身分に属する事項であつて被告人の自白だけでこれを認定して差支ないことがらであるから、原判決が証拠に基かないで被告人の外国人たることを認定したという論旨の非難は採用することができない。次に論旨は原判決が被告人を外国人と認定したのは事実の誤認で、被告人は日本国籍を有するものだと主張する。すなわち被告人の母はもと九条公爵家の出身で理子といい、長じて朝鮮の貴族である李伯爵と結婚して被告人を生んだが、間もなく離婚して一九三二年に被告人を伴い中国に渡つた者で、この時を限りに被告人の母及び被告人は日本の戸籍から抹消されたけれども、その後においても被告人母子は九条家の血縁で貞明皇后の庇護を受けていたものだというのである。しかしながら、かりにその主張のような事実があつたとしても、被告人自身は李伯爵の子として朝鮮の戸籍に入籍すべき者であつたわけであり、そうであるとすれば平和条約の発効により今日においては日本の国籍を喪失している筋合であるのみならず、一件記録を精査したところによつても、また当審における事実の取調の結果によつても被告人側のかかる事実の主張を裏付ける資料は一つも発見されず、むしろ当審の証人高尾亮一の証言と京都市中京区役所及び下京区役所の回答書とを綜合すれば、被告人の主張するような事実はなかつたことが認められるのであつて、このことと被告人が現に中国から密航してきた事実とを綜合すれば、被告人がさきに検察官及び検察事務官に対して述べたように少くとも日本の国籍を持つていないことは真実だと判断されるのである。はたしてしからば原判決には事実の誤認もないというべきであるから、この点の論旨もまた理由がない。

(裁判長判事 大塚今比古 判事 山田要治 判事 中野次雄)

弁護人川島政雄の控訴趣意

原判決には左の如き事実の誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。原判決は「被告人は外国人であるところ昭和二十七年七月七日頃香港より船名不詳のノルウエー船舶に乗船し同月十三日夜神戸港に到達の上有効な旅券又は乗員手帳を所有しないのに拘らず神戸市に上陸し以て不法に本邦に入つたものである」と云う事実を認定し、右事実認定の証拠として押収の切手、新聞天地の証拠物以下各種の証拠書類を列挙しているが右証拠の中被告人が外国人であるとの認定をなす証拠は何等存在しないものである。検察官請求に依る証拠書類中証拠申請書に依る立証趣旨よりすれば原判決が被告人が外国人であるとの証拠として採用したる証拠書類は横浜地検次席検事より国警に対する指令手配の有無調査依頼書、小笠原事務官作成電話聴取書以下指紋照会に至る迄の各種証拠であると謂わなければならない。併し乍ら横浜地検次席検事より国警に対する指命手配の有無調査依頼書に対する指命手配の該当者にあらざる者であるとの回答並びに指紋該当もないと云う点より直ちに被告人が外国人であると認定することは余りにも非常識極まる認定と謂わなければならない。日本人の大部分否善良にして今日に至る迄犯罪を犯した事のない日本人に対して若し指命手配の有無の調査を依頼したる際には総て指命手配該当者でない旨の回答があることは余りにも顕著なる事実であり且指紋該当者に非らざることは何等外国人であることを推測せしめるものではないことは言を俟たないものである。若しかかる回答より総て外国人であるとの認定をなすことは現実に於ける善良なる日本人の殆ど総ては外国人と認定さるべき運命にあると謂わなければならない。

併も被告人は警察署並びに検察庁に於ける取調べの際の供述調書に於ても終始外国人であることを否定して居り殊に第一回公判廷に於ける事実認否の際にも私としては日本の教育を受けましたので日本人である気持ですと供述し日本人であることを主張しているものである。尚亦被告人は本年九月十七日の第二回公判期日に於ける弁護人の被告人は母が日本人であるという事は何時知つたかと云う問に対し小さい時から母の教育の仕方や言葉で判りましたと答え父が日本人である事は何時判つたのかとの問に対しては母が死んだ時母の日記をみて判りましたと供述し、裁判官の父が日本人である事はどうして判つたかとの問に対し母の日記に書いてありましたと供述している点よりすると、裁判官としては終始本人が日本人であることについて主張していたことを充分了承していたものである。

弁護人としても横浜地方裁判所に於ては本人の母親が九条家の出身であるという事の供述をなしていた点並びに本人が母親の名前及び父親の事についてあく迄も秘匿し九条家並びに関係者に迷惑をかけることを危惧していた関係よりこの点に就て本人の意思を尊重し徹底的にその点について公判廷に於て審理することを避けていたものですが裁判所としては被告人の搜査官に対する供述調書並びに公判廷に於ける被告人の供述よりこの点については充分日本人であるとの心証が得られたものと云わなければならない。然るに検察官提出にかかる証拠書類には何等被告人が外国人であるとの認定をなすに足る証拠能力がないものであるにも拘らず原判決は検察官提出にかかる前記証拠書類により被告人を外国人と認定したものと謂わなければならない。かかる事実の認定は事実の誤認甚だしきものと謂わなければならない。若し裁判所に於て本人の供述に信憑力なきものと認めたる際には徹底的にこの点につき審理をなすべきものであつてかかる審理を尽さずして本人の国籍に関する事実を一片の検察官提出にかかる証拠によつて事実認定をなしたることは甚しき疎偏な裁判と謂わなければならない。併して被告人が日本人であることに就ては原審訴訟記録編綴の被告人の各種供述調書及び別紙添附の被告人の手記及び入国審査官に対する審査調書を詳細に考察する時は裁判所に於ても被告人の供述のみにより日本人であるとの心証が得られるものであるが若し此の点に就て日本人である事の心証が得られない時は是非共徹底的に本人の供述の信憑性を公判廷に於て確め且本人の希望する証拠調をして戴ければ必ずや事案の真相が明らかになり原審判決の事実認定の誤りであつたことが判明するものと確信するものである。

以上の点より原判決には明かに証拠能力なき証拠により被告人を外国人であると認定した違法があり右事実認定の誤りは判決に影響を及ぼす事が明らかであるから原判決はこの点より当然破棄を免れないものである。

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